食材としてのなまこの歴史

お酒をよく飲まれる方の中には、お酒のあてに「なまこの酢の物」や「このわた(海鼠腸)」を食べられることもあるのではないでしょうか?

特になまこの酢の物は、生のなまこを小さく切って酢をかけたもので、「コリコリとした歯ごたえのある食感がたまらない!」という人がいます。
レシピも簡単で、インターネットを調べるだけでいろんなアイデアの作り方が出てきます。
またその逆に、「なまこを想像しただけで、食べる気がしない!」という人もいます。
そんな好みの分かれるなまこですが、他の魚介類と同様、わが国日本では昔から非常によく知られた食物です。

では一体、日本ではいつ頃からなまこを食べるようになったのでしょうか?
はっきりしたことはわからないようですが、すでに古事記(712年)にはなまこに関する話がでています。
従って、なまこはかなり古い時代から知られていたのではないかと考えられます。

その古事記の中では「なまこの口が裂けている理由」として次のような内容の話が述べられています。
古事記は漢文で書かれていますが、わかりやすく解説すると大体次の通りです。

天宇受売命(アメノウヅメノミコト)が大きい魚も小さい魚もすべてを集めて、「お前たちは大君にいけにえとして仕えるか」と尋ねた。
魚たちはみんな仕えますと答えたが、なまこだけは何も云わなかった。
そこで、天宇受売命は、「なまこの口は答えない口だ」といって、ふところに差していた紐付きの小刀でなまこの口を裂いた。
そのため、今でもなまこの口は裂けているというわけである。

この話の後に、それ以後、帝に初物の献上があったとき、なまこは女性たちに与えられたということが記されています。これをみると、この頃からすでになまこは食用に使われていたと考えても不思議ではないかもしれませんね。

このようになまこは、古くから知られていた動物です。
その後の古い書物の中にも、食用に関するなまこの記載がみられます。

たとえば以下のものがあります。

1666年(寛文6年)訓蒙図彙(キンモウズイ)
1671年(寛文11年)閲甫食物本草(エツホショクモツホンゾウ)
1671年(寛文11年)庖厨備用倭名本草(ホウチュウビヨウワミョウホンゾウ)
1682年(天和2年)遂生雑記(スイショウザッキ ツイショウザッキ)
1697年(元禄10年)本朝食鑑(ホンチョウショッカン)
1712年(正徳2年)和漢三才図会(ワカンサンサイズエ)
1799年(寛政11年)日本山海名産図会(ニホンサンカイメイサンズエ)

これらは動物や食品に関することを説明した古い辞典や書物で、なまこの絵や記述があります。
江戸時代に出版された訓蒙図彙や和漢三才図会は絵による解説であり、日本山海名産図会は農水産物の図説といってよいものです。
その他の本は、食物に関する薬用的な面を説明しています。

このように「なまこ」が古くから食材として使われ、現代の私たちと同じようにこの独特の食感を楽しんでいたと思うと何だか不思議ですね!
現在なまこは高級食材ですが、たまにはフンパツしてなまこの食感を楽しんでみてはいかがでしょうか?